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仙台高等裁判所 昭和30年(う)171号 判決 1955年6月21日

主文

原判決中被告人吉田同鈴木に関する部分を破棄する。

被告人吉田、同鈴木はいずれも無罪。

被告人五十嵐の本件控訴を棄却する。

理由

弁護人毛利将行の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、これを引用する。

同控訴趣意について、

論旨は、本件影山潤植の死亡は被告人等の過失に因るものではなく、原判決の事実認定は誤つているものであると主張するものである。

よつて按ずるに、司法警察員の実況見分書、鑑定人田宮篤二郎の鑑定書、証人影山チヨミの原審各証言、原審検証調書、被告人三名の司法警察員、検察官に対する各供述調書を総合すると、本件の事実関係は、昭和二十八年一月十五日午後八時頃割石約三噸を積載した福島一―七六八三号貨物自動車に被告人五十嵐は運転者として被告人鈴木、同吉田の両名は運転助手として各乗車し、福島県田村郡三春町方面から同県郡山市方面に向つて同県安積郡富久山町大字久保田地内県道上を西進して来たところ、影山潤植(当時三十三年)がリヤカーと自転車とをひいて東進し来り、右自動車の進行を妨げたので、被告人等は自動車を止めて影山を自動車の後方に連行して避譲せしめたが、その際影山の態度に理不尽なものがあつたので被告人等は立腹して影山と口論した。しかし、ともかく影山を右の如く避譲せしめた後、被告人等は自動車に乗つた。その際被告人等三名の乗つたのは運転台で、被告人五十嵐は自動車の前方に向つて右側、同鈴木は中央、同吉田は左側窓際であつた。そのようにして、被告人等はまさに発車した際、影山は又もやつて来て自動車運転台の前方に向つて左側、即ち被告人吉田が腰をかけていた窓際に来て、窓に手をかけて、被告人等に対して悪口を始め、窓に手をかけたまま、自動車と共に進行した。そのうちに影山はその右手をすべらして自動車から離すや、被告人吉田はそれに気付いて、影山がそのまま左手をも離したので自動車が走つているので危険だと思つて、影山の左手を掴まえてやり、かつ「危い」と叫んだが、被告人鈴木は「かまうな、放つておけ、走れ走れ」といい、被告人五十嵐も漫然、大丈夫だと思つてそのまま停車せず進行を続けた。そのうちに吉田は影山の手を押さえていられなくなつてそれを放した。そのとたんに影山は被告人等の自動車の後部車輪にひかれて原判示のような傷害を受け、その翌十六日午前五時三十分頃死亡したものである。以上の如く認めるのが相当である。論旨は当時本件自動車の窓は閉つていたと主張するが、被告人吉田の司法警察員、検察官に対する各供述調書及び証人影山チヨミの原審証言に徴し、その窓が閉つていたとは認められない。また記録を精査するに、原審証人影山チヨミの証言が所論の如く措信し得ないものとは認められない。

しかしながら、右の如き事実関係のもとで、自動車運転助手たる被告人吉田、同鈴木の両名に過失責任を肯定し得るか何うかを考察すると、自動車運転助手は自動車の運転に際し運転者に協力して道路通行者その他の人の身体生命に対する危害の防止につとめるべき業務上の注意義務あることはもちろんで、人が自動車運転台の窓に手をかけてつかまつている場合、自動車がそのまま進行すれば、その人が振り放され、場合によつてはその自動車に轢かれたりして死傷の結果を惹起すべき危険があることは見易い道理であるから、助手がそのことに気づいたならば運転者にこれを告げて停車又は除行を促し、適宜の処置によつてその人を自動車から離れさせた上進行せしめる如く措置する義務あることは明かであるが、この場合右の危険を避けるには停車又は除行を絶対必要とするもので、しかも自動車を停車又は除行せしめることは運転者の職責であつて、助手は之をなし得ず、単に、運転者がそういう状況に気づかないでいる場合にはこれを運転者に告げて右措置を促すこと以上の職責を有するものでないと解すべきであるから、運転者が右状況を知つている場合においては、助手において重ねて運転者にこれを告げて右措置を促がす注意義務があるものとはいい得ない。ところで、本件においては、本件貨物自動車の運転台の窓は略大人(男)の肩位の高さであるから(原審検証調書参照)、影山(鑑定人田宮篤二郎の鑑定書によると、影山の屍体の身体は一六四糎である)が、その自動車運転台の窓に手をかけて被告人等に文句をつけた場合、影山のそうした体勢なり言語なりは運転台にいる者にはいやでも見えかつ聞えたと観なければならぬ、殊に、影山はそのとき突然に現われたのではなく、その直前被告人等との間に口論をした間柄であることを併せ考えれば、影山のそうした言動はその窓際にいた被告人吉田ばかりでなく、同鈴木及び同五十嵐においても明瞭に認識したものと推認するに足るのである。仮に、影山がそういう行動をしたことは、それを始めた瞬間には被告人五十嵐や同鈴木に判らなかつたとしても、その後間もなく同被告人等に判つたであろうことはこれを否定し得ず、影山が自動車に手をかけた場所から同人が被告人等の自動車に轢かれた場所までは、約八十米あり(司法警察員の実況見分書参照)、影山が手をかけた後被告人吉田が影山の手を放すまでも略右程度の距離があつたものと認められるから、被告人五十嵐は影山の右行動を知つた後危害を防止するため停車、又は除行等の措置をとるに十分な時間的余裕があつたことは明かである。そうだとすれば、被告人吉田及び同鈴木はその場合重ねて被告人五十嵐に対して影山の右の如き行動を告げて停車等の措置を促がす注意義務を有したものとは認め得ず、従つて、被告人吉田及び同鈴木に対しては本件業務上過失致死の責任を認め得ないわけである。

以上の次第で、原判決が被告人五十嵐に対して業務上過失致死を肯定したことは事実誤認でないが、被告人吉田及び同鈴木に対してこれを肯定したのは事実を誤認したか、注意義務に関する解釈を誤つたもので、その誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決中被告人吉田及び同鈴木に関する部分は破棄を免れない。論旨は被告人五十嵐に対する部分においてはその理由がないが、被告人吉田同鈴木に対する部分においては結局その理由があるに帰する。

そこで、刑事訴訟法第三百九十六条により被告人五十嵐の本件控訴を棄却すべきものとし、同法第三百九十七条、第三百八十二条により原判決中被告人吉田、同鈴木に関する部分を破棄し、同法第四百条但書により当裁判所において更に次のとおり判決することとする。

被告人吉田、同鈴木に対する本件公訴事実の要旨は、被告人吉田、同鈴木の両名は相被告人五十嵐の運転する原判示貨物自動車の運転助手として同乗し、昭和二十八年一月十五日夜八時十分頃原判示県道上にさしかかつた際、影山潤植が同貨物自動車の進行を妨げたことから口論が起り、そのため右潤植が同貨物自動車運転助手席側窓にぶら下つたのであるが、かかる場合そのままの状態で進行すれば同人を道路上に振落して傷害を負わしめる危険が十分あるから、自動車の運転者並びに助手としては一旦停車して運転台から同人を下車せしめて安全地帯に避譲せしめた上発車する等安全に運転するに必要な諸措置を講ずべき業務上の注意義務があつたにも拘らず、被告人吉田、同鈴木及び相被告人五十嵐は右潤植の態度に不快を感じていた折柄、不注意にも右義務を怠り、その意思を連絡して右措置を講じなくともそのまま進行すれば、潤植において下車するだろうと軽信し、右必要な措置を講ずることなく漫然発車した結果、原判示の如く同人を道路上に転倒せしめた上後車輪で同人の腰部を轢き、因つて原判示の如き傷害を負わせて原判示の如く死亡するに至らしめたものであるというのである。しかし、前段説明の次第で、自動車運転助手としては、本件の如き場合起訴の如き自動車運転者と同様な注意義務なく、ただ前記危険のあることを運転者に告げて事故防止を促せば足り、しかも本件の場合は前叙の如く運転者は右危険状態を認識していたのであるから、助手等において重ねて運転者に告げてこれを促す義務もないのであるから、被告人吉田、同鈴木には本件業務上過失致死の責なく、結局右被告人両名については犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法第四百四条、第四百三十六条に則り被告人吉田、同鈴木に対しては無罪の言渡をなすべきものである。

よつて、主文の通り判決する。

(裁判長裁判官 鈴木禎次郎 裁判官 蓮見重治 細野幸雄)

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